花形という存在
航空自衛隊にいる以上、「花形」と呼ばれるのが戦闘機であることに異論はない。
課程期間を通じて、常に戦闘機を志望することが“望ましい”という空気は存在する。
それは明言されなくても、確かに伝わってくる。
朝礼という儀式
朝礼の最中、唐突に聞かれる。
「お前たちの乗りたい飛行機は何だ?」
一瞬で空気が張り詰める。
ここで求められている答えは、自分の本音ではない。
教官が乗っている機種を、迷いなく答えること。
それが正解だ。
変に自分の意見を言うのは得策ではない。
ただでさえ困難な環境を、さらに困難にするだけだからだ。
教官と違う機種を口にするのも、余計な摩擦を生む。
私も例外ではなかった。
一人ひとり希望機種を聞かれたとき、
全力で教官の機種を答えていた。
そのときは必死だった。
虚しさを感じる余裕すらなかった。
だが心の奥では、決めていた。
「絶対に輸送機に乗る」
これはただの儀式だ、と。
伝統と象徴
消防の出初式で行われる梯子乗り。
今の実戦的な消防活動に必要かといえば、ほとんど関係はない。
それでも続いているのは、それが象徴だからだ。
戦闘機志向の空気も、ある意味でそれに近いのかもしれない。
組織として戦闘機パイロットを育てたい。
だから自然とそういう空気がつくられる。
それ自体を否定するつもりはない。
それでも人気なのは輸送機と救難機
しかし現実はどうか。
救難機や輸送機は、昔から一定の人気がある。
どれだけ誘導されても、本人の意思を変えることは難しい。
特に輸送機は、海外任務が多い。
国際共同訓練。
物資輸送。
人道支援。
世界を飛べる。
それが、私にとっての魅力だった。
選んだ道の本当の壁
だが、そこで一つの壁にぶつかる。
英語。
海外で活躍するなら、英語力は避けて通れない。
しかし私は、英語に自信がなかった。
「いつか本気でやろう」
そう思いながら、後回しにしていた。
戦闘機に乗るかどうかではない。
自分が選んだ道で、本当に戦えるのか。
その問いの方が、ずっと重かった。
本当に問うべきこと
戦闘機か、輸送機か。
それは確かに一つの選択だ。
しかし本当に問うべきなのは、
「自分が選んだ場所で、本気で戦う覚悟があるか」
ではないだろうか。
私は輸送機を選んだ。
ならば、英語から逃げてはいけない。
あの朝礼の緊張感よりも、
自分の弱点と向き合う方が、よほど怖い。
さて、いつ本気を出すのか。
答えは、もう分かっている。

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